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第3回  〜テレビゲームの宣伝部というお仕事〜

 前回、私の履歴は、アニメ業界から始まったと書いたが、実を言うとTVゲーム業界歴が一番長い。なにしろ、最初に業界入りしたときが、NECのPCエンジンが発表された頃で、未だにゲーム業界で仕事をしているんだもの。あう…歳食ってるのがバレバレだ。

 アニメ→ビデオ→ゲームと、転職するたびに業界を変えてきたのだが、ゲーム業界だけは別。ゲーム会社を辞めたときに、迷うことなく同じ業界のゲーム会社に転職してしまった。

 これは、自分に限ったことではない。どんなに辛い思いをしても、ゲームの仕事に再就職する人は本当に多い。どうも、ゲーム業界に一度ハマると、おいそれとは抜け出せない体質になってしまうらしい。だからフリーになったいまでも、私はこうしてゲーム業界から離れられずにいるのだ…って、別に離れたいとも思っていないけどね。

 私がゲーム業界における第一歩を踏んだのは小さなソフトハウス。そういう会社にありがちなことだが、企画・グラフィック・開発・営業・広報…と、なんでもかんでも兼任させられていた。

 思うところあってその会社は辞めたのだが、最初に言ったように、別なゲームメーカーに転職することになった。その際、いままでやっていた仕事全部を希望職種にするわけにはいかない。結局、宣伝部の求人に絞って面接を受けた。前の会社での経験から、宣伝の仕事が自分の性に合っていたような気がするからだ。

 私がいた会社の宣伝部は、とにかく色々なことをやらされる部署だった。
 広告の予算・スケジュール管理をはじめ、広告のラフレイアウトやコピー(宣伝文句)を作ったり、プロモーションビデオの構成などといった本来専門の業者がやるような業務が主な内勤。外勤は、雑誌の編集部へ資料を届けたり、様々な交渉をしたり、接待したりといった広報業務が主になる。時期によっては、イベント新作発表会やゲームショーのような大型イベントの参加の準備・運営が加わる。自社イベントなら企画運営、合同イベントなら、参加申し込みから参加するまでの様々な段取り・立ち会いまで、全てに関わらなくてはならない。

 この他、よくわからないマーケティング調査、宴会の幹事、はてはお中元リストという雑用まで入ってくる場合もあり、まさに大車輪の活躍だ。いま、同じことをやらされたら、とてもじゃないが尻をまくってトンズラこいてるに違いない。

 こういった業務の中で、特にイベント関係は楽しかった。春・夏・冬は全国でイベントが開催されるので、全国各地に出張ができるからだ。会社の単独イベントなら会社の同僚と、複数のメーカーが集合する大きなイベントなら、他のメーカーさんとイベントが終了した晩に、良くない遊びをするのが楽しみで楽しみで……

 しかし、世の中というもの、そんなに甘くはない。夜は楽しくてしかたないのだが、実際のイベントは肉体的にけっこうきついのだ。ずっと、ブースで立ちっぱなしだし、ステージがあれば、少しは気の利いた話もしなくてはならない。ましてや、前の日の晩に遊びすぎて疲れていたり、大阪のミナミでボッたくられて意気消沈している時などは、あと何時間で閉場だ…と、時計ばかり見てしまう。

 新作発表会や、ファンサービスの自社単独イベントだと、なぜか私が司会をやらされる場合が多かった。ステージで喋ったりすること自体は、それほど苦にもならないが、イヤなことがひとつだけあった。それはファンとの直接話す様な局面である。

 いまでこそ、ゲームショーがニュースで紹介されるほど、ゲームというメディアの一般認知度は高いが、当時、ゲームのイベントに来るような人は、かなりコアな人たちであった。ファンとの質疑応答コーナーなどで、マニアック過ぎる質問などをされると、もうタジタジである。
 そんなときはすぐさま、見学と称して無理に連れてきた開発スタッフに御登板願うこととなる。ただ、彼らはステージに上がって話すことなど全く慣れていないのが、問題といえば問題だった。まあ、そんなことにやたらと慣れている開発スタッフも、ちょっとアレだが。

 この質疑応答コーナーで、ダントツに多いのは「どうしたらゲームの仕事に就けるのでしょう?」的な質問。他人の、ましてや、まだ中学生くらいである少年の将来に影響するような無責任なことは言いたくないし、頓珍漢なことを言って恥をかくのは、もっとイヤだった。
 面倒なことは開発に振る、が、当時の私の基本理念。すかさず、会場の端で鼻クソをほじっていたトップクラスのプログラマー氏を、盛大な拍手でもって強引に呼び寄せた。
 早速、先ほどの質問に対して答えていただくと、そのプログラマー氏は真面目な顔で、

「それは『フロムA』を見ることです」

 と、よどみなく答えてくれたものだ。
 確かに間違ってはいないが、その子は、そんなことが聞きたかったのじゃないと思う。多分……

 この頃は、ゲーム専門学校というのもなかったし、ゲームデザイナーが、子供の将来なりたい職業の花形になるなんて、思っても見なかった。
 ……そんな時代の話である。

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