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第6回  〜夢を信じるということ〜

某声優のある一言

 先日、仕事上の都合があって、あるアニメのイベントに行って来たのだが、 そこで、声優の人が声優希望者にこんなことを言っていた。
「夢は本気で信じれば、いつか絶対かなうから頑張って」
 まあ、よく聞かれる言葉である。
 こういうセリフは、言うほうは夢を実現した者としての密かな優越感があり、言われるほうは、夢がいつかかなう様な気がしてきて、お互いに気持ちがいいものだ。

 しかし、夢を信じれば、絶対かなうというのは明らかな間違いだし、なんらかの夢を持っている人に対して、こう言いきってしまうのは、とても危険である。
 よく考えてみて欲しいのだ。
 誰でも普通は、なにかしかの夢を信じて生きている。だが、実際に夢を現実化できるのは一握りの人だけだ。夢を信じればかなう、と話せるのは、そういった夢が実際に現実のものになった人だけが、初めて言えるセリフだ。

 そもそも、そういった人がどの程度、夢を信じていたのか? 冒頭の話で言えば、現役声優が実際に夢を叶えるために信じたエネルギーと、声優志望者のそれとでは、実際どの程度の開きがあるのか? 極端なことを言えば、その声優さんは、お風呂に入ってなんとなく声優になりたいと思っていただけかも知れないし、志望者は夜も眠れぬほど、声優になりたいと思い詰めているかも知れない。それでも声優になれる人はなれるし、なれない人はなれない。たまたま夢を現実化できただけかも知れないのに、他人にそんなことを言うのは非常に危険がある。

信じるだけじゃ救われない

 声優さんの話から入ったので、実際の声優さんに失礼なことを言ってしまったが、これは声優に限らず、なにかしかの夢や希望を持つ全ての人に通じるのだ。
 人間、生まれたときのスタートラインは必ずしも横並びでヨーイドン! というわけではない。運や持って生まれた才能など、自分だけではどうにもならないこともある。例えば、政治家になりたい、お金持ちになりたい、映画監督になりたい、ゲーム作家になりたい……という夢があって、それを現実化した人は、単に夢を信じたからではなく、運や正しい努力や才能など、様々な要因があって、自分の夢や希望が現実化できたわけだ。

 もちろん、夢を信じるなと言いたいわけではない。夢を信じる、ということは、夢を現実化するための推進力である。夢に向かって突き進んでいく時、多かれ少なかれ、なんらかの障害が行く手を阻む。そんなとき、自分の夢を信じていなければ、一瞬にしてくじけてしまうからだ。夢を信じなければ、かなう夢もかなわない。

 問題なのは、夢をかなえるという目的よりも、夢を信じるという手段の方が、重要なことだと錯覚してしまう場合があるからだ。

 そもそも、どのくらい夢を信じているのか? など、数値化できるものではない。だから、思うようにならない人は、成功者を見て自分があんな風にならないのは、信じ方が不足していると思ってしまう。そして、もっともっと夢を信じて頑張ろう! と更に決意を固めていく。夢を現実化するという目的と、夢を信じるという手段が逆になってしまい、完全な神懸かり状態になってしまうのだ。
 これは、マルチ販売など洗脳商売のパンフレットによくある「人は夢を必ず現実化する能力がある」などという戯言や、宗教関係で言われる「信心が足りない」ということに限りなく近い。

 もちろん、夢を信じて頑張ってきたから成功した、という人もいるだろう。だが成功したのは、夢を信じただけではなく、先ほど言った運、才能という要因が必ず作用しているはずである。多くの場合、自分の思いと、現実とのギャップに苦しみ、半端ではない挫折感を味わってしまう。最悪、手ひどい神経症になってしまうこともある。私は、そういう例を身近で多く見ているから、余計に危険性を感じてしまうのだ。

信じると同時に考えよう

 大切なのは、夢は必ずかなう、とひたすら思うことよりも、どうしたら夢がかなうのか? 現実化するためには、何が必要か? といった現実化の可能性を考えることだ。運や才能は足りなくても、努力する事で不足分を補うことはできる。だが、絶対に無理な場合もあるというのが現実なのだ。そうでなければ、この世の誰もがみんな、なりたい職業に就き、自分の思い描いた人生を歩んでいるはずだ。

 私は漫画家になりたかったが、絵がへたくそでダメだった。続いて映画監督になりたかったが、体力が続かずダメだった。ゲームの仕事やらライターやら、色々と職業を変えたが、いまは脚本家をやっている。まあ、そもそもがアバウトな性格なので、その場に応じて、自分のなりたいものが微妙に変化しているという側面は否定できない。ただし、一貫しているのは、

「自分のせいで、人の感情が動くとしたら、それは素敵だ。だから、俺はそんな仕事をしたい……」

という夢だ。今後、また色々と仕事が変わっていったとしても変わりはしないと思う。
 夢はいくらでも、軌道修正がきくものなのだ。ひとつしかない人生ないんだから、夢を信じるという行為に縛られぬよう生きたほうが得である。

TEXT By.吉岡たかを
アニメ・ビデオ・ゲーム業界を経てフリーになった執筆屋。
広告、雑誌、アニメやゲームの脚本など、無節操に書き散らしてきたが、近頃は脚本業に専念しつつある。

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