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第10回  〜オタクと私(後編)〜

モノに対する執着がない私

 怪獣やらアニメやらマンガやらが好きで、生活の一部というより、身体の一部になっている自分であるが、オタクとしてイマイチだな、と思うことが結構ある。まあ、別にイマイチでも特に困るようなことはないわけだが、そういったところから、逆説的にオタク的なことが見えてくると思うのだ。
 なにがイマイチかというと、私はモノに対する執着に欠けるのだ。子供の頃からオタクなので(つうか、普通子供はオタクだ)、やたらと濃いアイテムを現在に至るまで常に購入している。
 お宝ブームを経て、オタク関係のオークションが盛んないま、そうしたオークションなどをのぞくと、昔の玩具などがトンでもない額で取り引きされていたりする。特に玩具関係に顕著なのだが、私はそれらをリアルタイムで購入していながら、ほとんど手元にはない。親に捨てられたというわけでもなければ、誰かにあげたというわけでもない。その辺にうっちゃらかして無くしてしまうか、投げて置いておくので、いつの間にか壊れてしまって遊べなくなったので、捨ててしまうかのどちらかだ。
 まあ、これはオタクに限らず普通の話である。だからこそいまになって希少価値がでてくるのだが、私の場合、子供の頃から大人になるまでずっと玩具を買っていながら、いまだにそうだ。たまたま、どこかにしまったまま忘れていたとか、どこかに紛れ込んでいたとか、そういうモノだけがたまたま見つかって運良く現存するのみである。

カバーもなく、
お菓子のカス入りの「魔女っ子メグちゃん」の単行本

 本はさすがに本棚に並べたり、多少に整理はしているが、これは読みたいときに読めるようしておきたい、という理由だけである。実家には、いまだに30年近く前からのコミックの単行本や、マニアックな雑誌やムックなどがたくさんある。コミックの単行本は、たいていが初版である。別にそういうマニアだからではなく、いつも書店の新刊案内をチェックして、その当時、発売と同時に購入するからだ。結果的に初版の本が多いだけである。例を挙げれば、かの「こち亀」が全巻初版である。
 ところが、本は読めれば良いというだけの人なので、ホコリがかぶっているのは当然だし、カバーが陽に焼けて退色していたり、それどころかカバーそのものが無くなっていたり、ページの間にお菓子のカスが入っていたり、全巻揃っていなかったり……と、古書としての価値はほとんど無い。コミックマニアな友人に「首を絞めたくなる」と言わしめたほどの最悪の保存状態である。

コレクションができない性格

 玩具も本も、きちんと整理して保存しておけば、いま頃一財産であるが、当時は、こんなものを、いい年して喜んでるのは自分だけだと思っていたからやむを得ない。と、思ってはいても、いまだにモノに対する執着のなさは、似たようなものであるので、コレクターには絶対なれそうもない。
 そう、私は、コレクションも大の苦手である。子供のコレクションブームというのは、周期的に発生するそうだ。私が子供の頃も、『切手ブーム』に続き『仮面ライダーカード』が日本中を席巻した。私も友達のつきあいで、たまに買ったりしたが、集めるという行為に夢中になれなかった。送るとアルバムがもらえる『ラッキーカード』ですら、その辺に置いておいていつの間にか無くしたくらいである。思えば、そのときも余り残念にも思わなかった。
 ものの本によると、蒐集という行為は、オタクと呼ばれる人達の基本的な行動らしいが、これも完全に欠落している。

好きな作品なのに、その作家には興味を持てない

 たいてい、オタクは敬愛する作家がいて、その作家の作品や言質を追いかけるものだ。ところが、私は本当の意味で好きな作家という考えがない。どんなに才能のある作家でも、傑作や凡作は入り交じるものだ。ましてや、私自身の好みというものもある。作家のファンは作家の作風や思想までもひっくるめて愛することができるから、世間的には駄作と評価されようとも、その作家の作品という理由だけで愛することができるのだと思う。
 映像、出版物など全てを含めて好きな作品はたくさんあり、その作品を愛してはいるが、作家そのものには余り関心がない。好きな作品について作家が語った本や記事を読むことはあっても、それは好きな作品に対する興味であって、作家自身に対する興味にはならないのである。
 やはり自分の嗜好によって、好きな作品を発表する作家の傾向は決まってくるため、そういった作家を、「××氏は、私の好きな作家です」としている。実際は、その作家の作品でも、自分の好みでないものは読みもしないし、読んでも「つまらない」の一言で終わってしまう。だから、言い方を一つ間違えれば、その作家の悪口を言っているように取られかねないので、自分の好きな作品を多く発表している作家と正直に言わず、単に好きな作家ということにしているだけである。

それでもやっぱ、オタクはオタク

 モノに対する執着、それに伴う蒐集壁、作家に対するこだわりなど、これらは、おそらくオタクな人たちの特質の一部分にすぎない。であるから、「吉岡はオタクですか?」と問われれば、私は「はいそうです」と答えるしかないが、それでも、やはりオタクな友人達と時を過ごしたときに、自分はイマイチ……だと思わずにはいられない。かといって「やっぱこれからの俺は、本物のオタクを目ざすのだ!」と思うこともないけど。好きに生きてきた結果として、いつの間にかオタクという言葉がくっついてきただけだから。
 結局、オタクという呼び名自体、その程度のモノにすぎないのだろうし、こだわる必要もないのかも知れないが。

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