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第11回  〜エスパー魔美 ちょっとイイ話〜

作品のも魅力だった藤子・F・不二雄(藤本 弘)作品

 前回の好きな作家で思い出したのだが、私は藤子・F・不二雄こと藤本弘先生の作品が大好きだ。ごく初期のものはともかく、おそらくたいていの作品は読んでいると思う。晩年まで、自分にとってハズレがほとんどなかった漫画家は藤本先生をおいて他になかったと言っていいくらいで、本当、早世が惜しまれる作家であった。  
  藤本先生が亡くなられたときに、「決してセックスや暴力などを描かず、子供達に夢を与えてくれた……」など訳知り顔で話す人たちが多かったが、実はそんなことはない。『ウルトラスーパーデラックスマン』や『モジャ公(アニメ版は別物)』といった名作を知らんのか? とファンの失笑を買ったものだ。  
  藤本先生は、ご存じのようにセックスも暴力も、描くときには徹底して描いている。ただし、藤子流の風刺や柔らかな描写のおかげで、不快感というのは、ほとんど感じない。これこそが巨匠の筆といえる。

あなたのハートにテレポート!(byアニメ版)

 藤本作品のセクシャル要素といった意味で、当時の少年達にインパクトがあった作品といえば、いわずと知れた『エスパー魔美』だろう。
  『エスパー魔美』を知らない人にために基本ストーリーを書くと、おっちょこちょいな中学生の女の子が、突然、様々な超能力に目覚め、クラスメイトの素朴な天才少年高畑君の助けを借りて、身近に起きる事件を解決する、というSFコメディ。確かに基本はコメディなのだが、心を打つ話や深いテーマを持った傑作が多く、いまでも根強いファンを持っており、後にアニメ化もされている。

ヌードの日常化?

 さて、この作品のどこがセクシャルなのだろうか? それは主人公佐倉魔美の家庭環境の設定にある。魔美の父親は売れない画家という設定で、ひとり娘の魔美の肖像を描くことがライフワーク。魔美はこづかい稼ぎと尊敬する父の仕事を手助けするため、しょっちゅうモデルになっているわけだが、なんとそれが裸婦像、すなわちヌードなのである。必然的に、ほぼ毎回魔美のヌードシーンが登場するのだ。  
  シーン自体は実にあっけらかんとしていて、まるでイヤらしさを感じないのだが、そこそこの年齢の少年達には、ヒロインのヌードとあれば、それだけでインパクトがあってしかるべきだ。というより、インパクトを感じなければ男じゃない。
 アニメ化されたときも、魔美は何度も全裸で登場するため、おそらく現在では再放送はかなわないと思う。まったくイヤな時代になったもんだ。パンチラもダメなら『さるとびエッちゃん』は一秒たりとも放映できず、放送禁止作品になってしまうではないか!   
  ……などという愚痴はさておき(この件に関しては、別な機会に話すつもり)本題に戻る。晩年、藤本先生は、『魔美』のヌードシーンに関して「ヌードの日常化を目指したんです」と雑誌のインタビューで答えている。日常化というキーワードは、藤本作品には欠かせないもので、どんな突飛な設定であれキャラクターであれ、藤本作品の世界は、我々の生きている日常の延長線上にある。であるから、ヌードの日常化というのは納得のいく答えだと思う。

藤本先生との貴重な思い出

 だが、そもそも『魔美』で、なぜヌードを出さねばならなかったか? その理由を私は知っている、他でもない、ご本人から直接教えていただいたからだ。
  『魔美』がアニメ化される数年前のこと、私は一度だけ藤本先生とお話する機会に恵まれたことがある。経緯は省くが、ある仕事で打ち合わせを終えた藤本先生を最寄りの駅までお送りする事になったのだ。これはさすがに緊張した。もし事故でも起こしたら、日本のいや、世界の損失だと思ったからである。  
  こういうとき無言で運転すると、エラくプレッシャーがかかるものである。そこで、どうでもいいような世間話を藤本先生としていた(いま思うと失礼なヤツだった)。そんな中、「僕、エスパー魔美が大好きだったんですよ」と私が話すと、先生は 「アレは人気あったんだよね。裸が……」 などと笑って答えてくださるのだった。
  あまりの身も蓋もない言い方に、私は思わず信号無視をするところであった。ああ、世界の損失にならずによかった。  
  先生は続けて
  「編集さんから、1カットでもいいから女の子の裸を入れて欲しいと言われて、不自然にならないように、ああいう設定になったんですよ」  
  と話してくださった。  
  私は「あ、なるほど!」と膝を打った、といっても運転中なので、心の膝(?)を打っただけなのだが、私は瞬時に、先生のおっしゃった事情を理解していたのだ。

掲載作品全てに…… 少年誌なのに……

 『エスパー魔美』が連載されたのは、『マンガくん(注)』という少年誌の創刊号からだ。その創刊号は、ある意味で異彩を放っていた。藤子不二雄をはじめ、永井豪、水島新司、本宮ひろ志といったそうそうたる執筆者も凄かったのだが、掲載された連載および読み切りマンガのすべてに女性のヌードシーンが存在していたのである。  
  永井豪の連載マンガの『無頼・ザ・キッド』は、我らが豪ちゃんの作ということもあってヌードがあっても違和感はない。というより、ない方がよっぽど違和感があるだろう。  
  しかし、水島新司の少年野球マンガ『球道くん』で、泥んこになった主人公の子供を、若い母親が一緒に風呂に入って洗うといったストーリー上全然必要ないシーンが用意されているのは違和感があったし、さらに本宮ひろ志の読み切り作品『てっぺんガキ大将』では、お風呂のシーンどころか、ヒロインのオシッコシーンまで登場する大盤振る舞いだった。  
  オシッコはともかく、創刊号は読み切り連載を含め、全ての掲載作品にヌードシーンを用意するという、少年誌らしからぬコンセプトがあったのは明白だ。  
  ただし、これは創刊号だけのサービスらしく、次号からは、そんな無茶はやっていない。最初からお色気路線の作品はともかく、さすがに『球道くん』では、以後そういうシーンは見受けられなくなった。さて、本来お色気路線ではない『エスパー魔美』はというと……

反則だよね、と巨匠は笑った……

 「考えたら連載ものなんで、設定変えるわけにもいかなくて、結局、毎回裸出すことになっちゃって。そしたらウケちゃってね。ドラえもんもしずかちゃんのお風呂のシーンが人気あったから、少し予想してたんだけど、ちょっと反則だよね、あれ。ははは」  
  実際は、作品そのもののグレードが高かったからこその人気であるのは明白なのだが、そのとき私は、覗いたルームミラーで、楽しそうに笑う先生を見て、
  「反則ですよねえ……」  
  と、全然フォローになってないことを、つい口走ってしまっていた。ああ、失礼の上塗り……  
  これが『エスパー魔美』のヌードシーンの、世間であまり知られていない理由だ。藤本先生とふたりきりでお話しをうかがえる、という体験は、自分の人生において、生涯忘れられない素晴らしい思い出であるが、その内容は『エスパー魔美』に関する、ちょっとイイ話だったのであった。

(注)『マンガくん』は、小学校高学年から中学生あたりまでをメインターゲットにした中閉じの雑誌で、徐々に対象年齢が上がっていき、平閉じの『少年ビッグコミック』と誌名を変えてから、あだちみつるの『みゆき』でラブコメブームを巻き起こした。更に年齢が上がって再び中閉じになって、完全に青年誌と化したのが現在の『ヤングサンデー』である。『マンガくん』から『ヤングサンデー』となった現在までずっと愛読している私であるが、手元にある『マンガくん』創刊号のほのぼのとした誌面と、やけに殺伐とした現在の『ヤングサンデー』の誌面を比較すると、そのあまりの違いに慄然としてしまう(笑)

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