第15回  〜巨大ロボの魅力〜
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ロボット好きな日本人

 私は特撮映画の怪獣と、アニメのロボットが大好きである。今回はロボットのお話。
日本はロボット大国と呼ばれて久しい。これはアニメのロボットではなく、工場で使われるような実用ロボットのことだ。最近では、SONYの愛玩ロボAIBOやホンダのP3などといった非実用ロボットでも世界のトップをいっている。
 なぜ日本がロボット技術に優れているか? それは、欧米には、フランケンシュタイン・コンプレックスと呼ばれるロボットアレルギーが根強くあって、機械がいつか反乱を起こすとか、狂って人を襲うとか、そういう強迫観念があるのだそうだ。ところが、日本人には、それがまったくない。それゆえ、発達したというのがおおかたの見方。なぜ欧米がロボットを恐れるのかは、宗教的、倫理的、歴史的な違いで、これを語ると長くなるのでやめておく。とにかく、日本人はロボットが好きなのは間違いないと思う。

 日本がロボット大国になった理由が、もうひとつある。現在のロボット開発者がTVアニメ第一号の『鉄腕アトム』を筆頭に、『鉄人28号』『エイトマン』など、黎明期からしてロボットだらけのTVアニメを観て育った世代である、というの大きなポイントだ。『AIBO』や『P3』の開発スタッフの究極の目標に鉄腕アトムを挙げていることからも、これは明らかである。
 私は、この世代よりも1〜2年遅れて育っているため、(幼年期の1年のギャップは、大人の5年以上に匹敵する)実を言うと、あまりこの辺のロボットに対して思い入れがない。やはり、ロボットというと、マジンガーZ以降の、ボディに乗り込んで操縦するいわゆる巨大ロボなのである。

『マジンガーZ』の魅力

 『マジンガーZ』は、色々な意味で画期的だった。よく言われるのが、自分で自動車のように操縦するシステムをはっきり打ちだした点と、小型飛行マシンが頭部に合体し操縦席になるという、合理的でなおかつ映像的な斬新さ。
 本当は、人が運転した時点で、学術的にはロボットとは言わないそうだが、私は学者ではないのでそんなことはどうでもいい。というより、人が乗り込んで操縦するロボットという日本の生み出したアイディア自体、すでに海外でもすっかり認知されているのだ。

 内部で操縦するロボットというアイディア自体は、『マジンガーZ』以前もコミックなどではさほど珍しいものではなかったので、自分にとってそれほどのインパクトではなかった。なによりも、自分にズシンと来たのは、そのデザインである。
 あの凶悪な面構え。なにしろ目は瞳がなくその周りに赤い隈取り、耳まで避け、歯をむき出しにしたような、口に当たる部分のデザイン。これで黒マントに杖を持たせれば、悪のメカ魔王である。これを発明した博士は、操縦者となる主人公に『(マジンガーZがあれば)神にも悪魔にもなれる』とのたまったが、どう見たってマジンガーZのデザインモチーフは悪魔である。同じ作者の傑作で『デビルマン』の原型となった『魔王ダンテ』というコミックがあるが、マジンガーは、悪魔王ダンテをメカニカルにリニューアルしたと言っても過言ではない悪魔的なデザインなのだ。
 アニメ化に伴い、マジンガーの顔は、徐々におとなしくなっていくが、『少年ジャンプ』で、最初に見たときのインパクトは忘れられない。

巨大ヒーローより、夢が近い巨大ロボット

 『マジンガーZ』以降、私はロボットアニメを見続けた。『宇宙戦艦ヤマト』の放映当時、なぜ巨大ロボが出てこないのだろう? と不満に思っていたくらいだ。そう思った子供は少なからずいたようで、『ヤマト』本放送当時の視聴率不審の理由のひとつに、SFアニメなのにロボットが出てこないというのがあったという(笑)
 いまも巨大ロボは産まれ続けているところをみると、日本人は本当に巨大ロボが好きなのだ。巨大な人間の形をしたものが敵を倒すというのは、『ウルトラマン』が元祖である。おそらくは、巨大ロボも『ウルトラ』の…ひいては『ゴジラ』から綿々と繋がる日本独自のエンターティメントの系譜の申し子なのだ。
 ただ、巨大ロボには、特撮ヒーローにない大きなアドバンテージがある。巨大ヒーローは変身という特殊能力をもって活躍する。巨大ロボの場合、変身という選ばれた特殊能力を必要としない。極論すれば、必要なのは操縦という技術だけだ。
 すなわちロボットさえ現実にあれば、自分でもヒーローになれるかも知れないという夢の近さが、巨大ロボの有する一番の魅力なのである。現在のロボット技術者がアトムを目指しているのならば、次世代の技術者は、現実に動かせる巨大ロボを目指すのかも知れない。アトムとマジンガーZでは、ロボットに対する思想が全く違うので、全然違うスタッフや会社になると思うけど。

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