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第17回  〜いまは未来なドラマ作家〜

いまは未来なのである

 どっちを向いても未来〜なんて歌があったけど、いま生きてるこの世界は、自分が子供の頃夢見ていた、あの未来なのである。
 私が子供の頃、少年向け雑誌などは、未来ブームみたいなのがあって、夢の未来、みたいなものをしょっちゅう特集していた。
 『ドラえもん』という、あまりに有名なマンガも、そのブームの流れから産まれたのは想像に難くない。
 ドラえもんの秘密道具で、撮影してすぐに上映できるムービーカメラというのがある。これは、家庭用ビデオカメラという名前で、ドラえもんの故郷、22世紀を待たずして、すでに実現してしまっているのだ。
 他にも、身近に色々未来なアイテムが揃っている。手で持って歩ける電話で手紙も出せるケータイ。個人用電子頭脳パソコン、文章を電送(この響きがいいね)できるファクシミリ、小さな箱の中に簡単に映像を収録し、そしてどこでも再生したり出来るビデオシステム、針がいらずノイズもないのにドーナッツ版より小さく銀色なCD、世界中で情報を共有できるインターネット、部品がキッチリとはめ込むことが出来、接着剤を使わないのに凄い完成度のガンプラのパーフェクトグレード、これらを30年前の自分に見せれば、間違いなく秘密道具だ。とにかくそのくらい、いまは未来なのである。
 今回は、未来になったおかげで、シナリオの作りが少しずつ変わっていかなければないない、というお話し。

「けいたいでんわ〜!(大山のぶ代の声で)」ピロピロピーン!

 さて、ドラマ作りの今後に、一番大きく影響していくと思われる秘密道具に携帯電話がある。
 ドラマというのは様々な人間を動かし、出会いや別れ、その他様々な人と人との接触があって成り立つわけだが、携帯電話があると、いままでのやり方が成り立たなくなる。例えば、メロドラマで良くあるすれ違いもの。愛し合う男女が、運命の悪戯で出会うことが出来ず、ひたすらすれ違ってしまうドラマである。これなど、携帯電話があったら、全然すれ違うことなどない。

「いまどこにいるの?」
「宗谷岬」
「じゃ、いまから行くから待ってて。付いたら、ケータイに電話するわ」
「……」

 こんなの、ちっともドラマチックではない。もっと深刻なのは、ミステリーものだろう。特に世間から隔絶された状態で事件が起こるというパターンだと大変だ。

「田嶋が死んでいる!」
「なに? じゃ携帯で警察に連絡しよう!」
「……」

 携帯の電波が届かない、という設定にすればいいのだが、この手のものは、それでなくても、舞台を世間から離す無茶な設定を、どう自然にに見せるかで四苦八苦するのだ。さらに、携帯の電波が…というのでは、嘘臭さが増してしまう

時代に合わせなきゃウソになる

 これからも、携帯電話は増えることはあっても減ることはないだろう。
 ということは、ドラマ作りも、時代に合わせて変えていかなければならない。いままでも、電話、自家用車の普及など、そういった過渡期はあったと思う。が、それらと較べても、携帯電話は便利すぎるのだ。なにしろ、個人のポケットに入れておけるんだから。
 そうなると、複数の人間の場所が別でも、共有する時間軸は全く同じ、すなわち場所が違えばシーンが違う、といういままでのやり方ではなく、互いに違う場所にいながら同じシーンでストーリーが進行する、というドラマ作りが普通になる。そうならねば逆に不自然だ。もちろん、いままでも電話での会話というシーンは存在するが、それは電話のある場所、という位置的な縛りがあった。ところが携帯は、いつでもどこでも、隣の人に話すのと同じ感覚で会話できてしまうのだ。

 一般的に見れば大したことないと思われるだろうが、ライターから見れば、実はいままでの脚本作りのセオリーから外れた作り方をしなければならず、これが意外としんどい。 ドラマは葛藤と訳されるように、登場人物が悩んだりすることを基本として、ストーリーが創造される。
 その悩みを表現、あるいは新たに作り出すために、様々な障害が設定されるわけだ。
 その障害の重要な要素のひとつに、会いたい人に会えない、伝えたいことを伝えることが出来ない、などといったコミュニケーション障害があるのだが、この技が使えないのである。
 毎回、電波障害というわけにもいくまい。相手がたまたま電源を切ってたというのもわざとらしいし、その上、相手がそんな状態でも、メールや留守電もあるのだ。
 ケータイという秘密道具のおかげで、これからは、ドラマ作りは、イヤでも新しい時代に向かう。このコミュニケーションが常時有効という未来な設定を、逆利用するドラマ作りを普通にやっていかなければならないのだ。
ああ、しんど……
 未来におけるドラマ作りの話、次回も続きます。

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