アニゲの狭間 第26回 〜アフレコ〜

アフレコ(AR)というのはアフターレコーディングの略で、あらかじめ撮影された映像に、あとで台詞や音楽を録音(注)すること……などとあらためて言うまでもないが、今回は、このアフレコに関するお話し。

 脚本と台本は違うのです

 脚本家がアフレコに立ち合うのは、最終的な台本チェックのためであるが、こちらから参加する意志を伝えておかないと呼んでもらえないことも多い。
 私は、このAR台本チェックまでが、自分の仕事の責任範囲だと思っているので、極力立ち合うよう努めている。
 各話担当の場合は、自分の担当話数だけで済むが、前回話したシリーズ構成になると、毎回立ち合わなければならず、結構大変である。

 このAR台本は、脚本の決定稿とは基本的に別のものだ。AR台本は、脚本から起こされるのではなく絵コンテから起こされているためである。
 脚本から絵コンテになる段階で、演出上の理由や時間の都合、監督の嗜好で、時には細かく、時には大幅に内容が変更されるため、台本で最終的なチェックをするのはとても大切なことなのだ。

 アフレコでの苦い経験

 以前、自分の書いた決定稿と台本で、同じところが台詞一つだけ、ということが一度だけあった。
 アフレコで頂いた台本が、絵コンテの段階でか、あるいは別な脚本家が改訂したのかはわからないが、ストーリーの構成から台詞から、決定稿とは似てもにつかぬ内容なのである。
 それが私の書いた脚本と較べて内容的にどうか? ということよりも、ホン読みで何度も打ち合わせをして、改稿してきた作業があまりに無意味である。
 ホン読みの際の議論で、こちらの意見に納得したフリをして議論から逃げ、絵コンテで丸々変えて自分の意見を押し通すやり方の監督は少なからず存在する。
 が、作品は監督のものというのが私の持論であるから、それが、ある意味理不尽な行為であっても、仕事としては、できるだけ納得するようにしている。
 しかし、これは、そういったことの比ではない。その時の台本は、改訂ではなく改ざんに近かった。
 いくらなんでもこれじゃ決定稿を出す意味などないし、チェックするのも馬鹿らしくなったので、さすがに途中で帰った。今までのアフレコ立ち会いで、一番苦い経験であった。

 台詞の言い回しをチェック

 さて、脚本家が実際に、なにをチェックするのかといえば、主にキャラ独自の言い回しである。
 台詞というのは、書いた人間固有の癖やリズム感が表れるので、絵コンテ化の際にかなり揺れることが多い。
 それをそのままにしておくと、話ごとに特定のキャラの言い回しが変わってしまう。のは具合が悪い。その統一を図るために一通り目を通す必要があるのだ。
 まれに、絵コンテで変更した時点で、ストーリー自体に不具合が起きているといったこともあり、そういった場合は、現場で、かなりの修正をすることもある。
 めったにないことだが、制作期間がひっぱくしているときなどは、全体的にチェックが甘く、台本になってあらためて気づく、という場合も起こりうるのだ。

 たまたまそこにいたから、と使われる

 アフレコ作業は、プロデューサー、監督、音響監督、オペレーターなどの音響スタッフがいれば、作業に関して本来実質上の問題はなく、脚本家は、立場的に大きいものではない。だが、その場にいればいたで、やることは結構多い。
 例えば、口パクがうまく合わないときなど、口パクに合わせた台詞の微調整などもその一つだ。まあ、ベテランの役者さんになると、自分で調整してピタッと合わせてしまうこともあるが……
 オフ台詞と呼ばれる口パクの見えていない台詞の場合、かなり融通が利くので監督の思いつきでいきなり台詞が追加・変更されることも多い。
 また、演出上の都合で、ナレーションが必要になれば、その場で追加ナレーションを書くし、ひどいときには、 予告ナレーション原稿が用意されておらずたまたま脚本家がそこにいるから、という理由でいきなり予告を書かされるということも少なからずある。
 とにかく、現場でいきなり原稿を書かされる、という局面は意外と多いので、チェックだけして、後はノホホンとはしていられないのだ。


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