アニゲの狭間 第28回 〜脚本家からみた声優というお仕事2〜

前回に続いて、脚本家から見た声優というお仕事について書いてみる。

 アフレコは忘れた頃にやってくる。

 脚本という作業は、作業行程において、かなり早い段階で行われる。
 逆にアフレコというのは、最終に近い段階であり、脚本の決定稿を出してから、数ヶ月後、長いときには半年後にアフレコの収録が行われるわけで、脚本とアフレコは、時間的、行程的には最も遠い
 以前、仕事が滅茶苦茶立て込んでいるときに書いた話のアフレコの際、どういう話だったっけ? と台本を見るまで、細かい部分を忘れていることがあったくらいだ。

 そう、脚本家と声優の仕事というのは、とても遠いのである。
 しかし、それは工程上のことであって、クリエイティブな側面から見れば、かなり近い位置にあると思う。

 台本は役作りの元

 それは何故か? というと、声優は、私たちが書いたセリフを、最終的に形にする仕事だからだ。
 声優は、基本的に渡された台本通りに演じるわけで、心の中で、なんだこのホン? つっまんねーと思うことがあろうと、キッチリとやってくれている(と思う)。
 できることなら、演じる人達にも面白いと思えるホンを、用意したいと思ってはいるのだが……

 当然のことだが、演じるということは、単純に声を出す、ということではない。
 役を作るということも、役者の重要な仕事であると思うのだ。
 同じ役、同じセリフであっても、演じる役者さんによって、キャラクターのイメージ自体が丸々変わることも多い。これは声優が自分自身で役を作ってくるからだ。
 演技というのは、演じているキャラクターや、その台詞を話すに至ったシチュエーションなどを考慮して演じるものだから、私みたいな門外漢がわざわざ説明せずとも、これは当然といえるのだが。
 だから、まったく同じセリフでも、時と場合によって、その演じ方のニュアンスが、時には微妙に時には大きく変わったりもする。時々、全く変わらない人もいるけど。

 この役作りの元になるのが台本なわけで、そう思うと、適当に書くわけには行かない。
 脚本家である自分がアフレコに立ち合うということは、常々それを自覚していたいという意味もあるのだった。

 作品を変えるほど濃い演技(笑)

 自分の作ったセリフが声優の演技を通じて形になる。これは脚本家でなくては味わえない感慨がある。
 特に、脚本を書いているときは自分の頭の中で、無意識に役者の演技と同じことを行っているわけで、その想像した通りの演技であるときは妙に嬉しい。
 時には、想像と違った演じ方であるのに、私の想像以上に効果的な演じ方をしてくださる方もいて、そんな場合は「ああ、こんな解釈もあるのか!」と、声優の表現力に感心することもある。
 もちろん、同じ違っている場合でも、うーん?? と頭を捻る場合もあるが、これはお互い様ですな(笑)

 特に実力のある声優の場合、私たちが作ったキャラの上に、自分自身が作ったかなり個性的なキャラを乗せてくることも多い。特に長期シリーズになると、こういった役者の個性が、作品作りそのものにもに影響を及ぼしてくる、というエピソードも少なくないのである。
 例えば、声優のアドリブで話したセリフが受けて、いつの間にか脚本中で最初からそのセリフが組み込まれていたり、声優さんの演技を含めたキャラを前提とした作品作りをしたりすることもある。

 定番のセリフ、定番の演出、定番の演技……

 若い声優さんの場合、子供の頃からアニメを観て育っているからかも知れないが、こういうセリフは、こういう演技、のように、演じ方が完全に固まっていることが本当に多い。
 私は、演じかたこそが個性なのだから、遠慮せず、それぞれがもっと創意工夫しても良いのではないかと思う。
 ただ、脚本もおきまり、演出もおきまり、音響監督もおきまりを望んでいるであれば、それは仕方のないことだ。

 このことに関連して、私が脚本というセクションで、最近最も気を付けていることは、極力おきまりの定番セリフを使わないということである。
 もちろん、絶対というわけではない。定番には定番なりの意味と、使い方があるのだから。

 つうことで、次回は、脚本のセリフについて最近思うことを書いてみようと思う。


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